昭和を代表するアイドル歌手、野口五郎さんについて驚きの真相をお伝えします。
野口五郎さんは1956年に岐阜県で生まれ、兄は作曲家の佐藤浩さんです。曾祖父は人形浄瑠璃の名人であり、両親はアマチュア楽団の歌手でした。幼少期から歌が得意だった野口さんは、1966年の日清ちびっ子のど自慢で優勝し、さらに中部日本放送のどんぐり音楽界でも一位を獲得しました。
中学二年生の時にはキャバレーなどでバンド活動を始め、ギターの腕を磨いていましたが、足の故障でギタリストの夢を諦め、歌手としての道を進むことに決めました。
1971年5月1日にポリドールレコードからシングル「博多みれん」で歌手デビューしましたが、デビュー曲のセールスは振るいませんでした。しかし、二曲目の「青いリンゴ」でポップスに転向し、大ヒットを記録。そのルックスも相まって、多くの若い女性ファンの人気を集めました。芸名「野口五郎」はポリドールのディレクターが名付けたもので、長野県の野口五郎岳に由来しています。
1972年には紅白歌合戦に初出場し、その後も10年連続で出場。代表曲として「私鉄沿線」や「オレンジの雨」、「君が美しすぎて」など、多くのヒット曲を生み出しました。
野口五郎さんは関西テレビ系「胸いっぱいサミット」に出演し、過去に人気番組の降板を申し出た際、プロデューサーから干されると脅されたエピソードを明かしました。当時、彼はアイドルに人権がない時代だったと苦笑いで振り返りました。坂上二郎さんや研ナオコさんと共演したバラエティ番組「カックラキン大放送」は、1975年にスタートし、1986年まで続いた超人気番組でした。
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引用元:https://youtu.be/yVNFkPUR5XY?si=uQEyOVXd7GscEtIf,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]